2024.4.12(金) 高校2年生5日目
今日は天国と地獄についてふと考えました
私が最も小さい時に恐れていたのが「地獄」です。
宗教をめちゃくちゃに信仰してる家では無いのに、なんでこんなに潜在的に恐れてしまってたのか、 多分原因は2つ。
・その時期に、絵本「地獄」というのがメディアで紹介されていることをよく目にしたこと。それが幼稚園の職員室にあって、興味本位で覗いてみたこと。幼かったので、凄く恐ろしかった。
・後はNHKの番組天才○れびくんです 幼稚園の頃あの番組を見ることが好きだった。多分その日は節分?で鬼役の人が確か怖かったのと、その鬼が 「悪い事をしたら地獄に落ちる」というセリフ言っていました。大泣きしました。何故かわからないけど未だに覚えています。
私は幼稚園の頃、特に悪いことをしたという心当たりはなかったので、地獄がとにかく未知で、怖かった… もし友達が地獄が落ちたら絵本のような事が行われるのかと想像して、その日は本当に大泣きしたのを覚えています。
で、その事をなぜが急に思い出して。
天国とか地獄って本当にあるのかな?って色々思い返しました。
自論だけど、結果的には
ない
んじゃないかな?っていう結論に落ち着きました。
人間絶対誰でもイライラします。そういう時私は「地獄に落ちる、この人」などと変なレッテルをその人貼って楽にする習慣が昔から無意識的にあります。だから、あるにはあるとは思う、でも。
厳密には
それぞれ、人の中にしかない
が正しいのかも。
悪い事をしたという基準って すごく曖昧。
もちろん犯罪はダメだけど、その人にはその人の正義や事情があったのかもしれない。そういう事情の為なら地獄に落ちる必要はないと思った。ただ、「それを法律は法律だ」と許さないという人は地獄に落とす。それとも、もしも人間を殺害することが「善」だという意見の人がいれば、その人は天国に行く、と言い張る。
そうやって色々考えていると、地獄に行く人の判別が凄く難しい。こりゃ、漫画のような地獄行きの判決をする人(閻魔様?)は凄く困ると思う。その人裁判官の悪だと思う基準もある。
そんな基準で、その日が死後に過ごす空間が決められるのかと思うと何か納得がいかない。
私がいつしか心の中で「地獄に落ちるだろう」と思うような行動をした人は、他の人を助けたり、色々な善の行いをしているのなら、天国に行っているはずだ。
その天国か地獄に行くかの判決がもし多数決で下るとなると、これもまた理不尽、難しいんじゃないかな。やっぱり個人差がある。
なので、天国や地獄(善と悪)基準は人それぞれ→一人一人の考え方が違う→なら、その人の中にある、というお話でした。
昼寝(夕方寝)起きなので、
眠気覚ましに打ち込んだので、支離滅裂な文章かも。
これからお風呂だったり明日の用意だったりでしんどいな。英単語も覚えないとなのに、私は何を考えていたんだろう… 急にバカバカしくなってきた。うえーん。
ちなみに、私の中の地獄があるなら、
私は怠け者だし、悪い事をして沢山人を傷つけてしまったので、地獄に落ちると思います。きっと…
いつか色んな人の天国と地獄の話も聞きたいな。
天国とか地獄に拘らなくても、死後はこうなるという意見も聞きたいと思った今日この頃!
やっぱり死は怖い。
後桜が綺麗だった(動画だったから画素が悪いです…💦)
部活で冬から育ててたチューリップも、今日だいぶ枯れてきてて、悲しかった